191103

江戸から明治前期の取組順および張出、番付外出場力士
の地位考証について

Ⅰ.取組順について

 江戸時代から明治時代まで張出力士には地位の表示が
ない場合が多く、その番付地位の考証に当たっては取組
順(一日の興行で行われる取組の順番)が手がかりとさ
れる。
 これは対戦者のうち上位の力士の番付の低い取組から
順番に行われることが前提となるが、実際に取組順を検
証すると番付の順とは矛盾する取組順が存在することが
わかる。
 筆者が相撲起顕を元に江戸時代の享和以降の取組順を
検証したところ、明治中頃まで取組は番付順ではなく東
西それぞれでの序列の順番で行われていたと判断するに
至った。
 具体的には東方西方それぞれで上から順に休場者を除
いて序列をつけその序列の順番で東方西方交互に並べる
形で行われていた。視覚的に示すなら以下の様になる。

 中入前   中入後   東1は東方の1位
 東4―○○ ○○―西4 ○○は下位力士
 ○○―西3 東3―○○ 一日ごとに中入の前後は入
 東2―○○ ○○―西2 れ替わる
 ○○―西1 東1―○○
 ただし基本形であり同順位や近い順位で入れ替わるケ
 ースが少なくない。人数に不均衡がある場合東4より
 西3の取組が先のようなケースがあるが東方西方それ
 ぞれでは低い順位の取組から順に行われる。

 休場者を除いてと述べたようにこの序列は休場者が出
ると繰り上がり、休場者が出場すると繰り下がる。即ち
本場所中でも変動する。また勝負付には取組発表後に休
場するとその取組自体記載されないため序列の判定に際
し注意が必要となる。

 文化九年春場所初日(相撲起顕より)
 中入前
 荒 海(幕 下)―大鳴門(西前6)西7
  雷 (東前7)―出水川(幕 下)東6
 羽 颪(幕 下)―越ノ海(西前5)西6
 千草山(東前5)―水 海(幕 下)東4
 濱 風(幕 下)―真 鶴(西前1)西3
 立 神(東前3)―遠 近(幕 下)東2
 大 角(幕 下)― 鉞 (西関脇)西1
 中入後
 筑波潟(幕 下)―戸田川(西前8)西8
  頂 (東前6)―龍 門(幕 下)東5
 泉 崎(幕 下)―春日山(西前4)西5
 八十嶋(幕 下)―桟 シ(西前3)西4
 揚 羽(東前4)―鼓ケ滝(幕 下)東3
 鳴 潮(幕 下)―桑ノ弓(西小結)西2
 鏡 岩(東前2)―八登崎(幕 下)東1

 休場者多く番付順で見ると矛盾する順が多いが序列で
見れば矛盾しない。東方出場者のうち最上位の平幕鏡岩
が初日の結びを取る。

 文政八年冬場所初日(相撲起顕より)
 中入前
 温海嶽(東前6)―越ノ海(西前7)西7(東8)
 照 羽(幕 下)―黒 柳(西前6)西6
 三ケ関(東前4)―琴ノ浦(幕 下)東6
 外ケ濱(東前8)―緋 縅(西前3)西4(東9)
 大 山(東前2)―四角山(幕 下)東5
 由良海(幕 下)―高 砂(西前1)西2
 荒 馬(東小結)―松 嶋(幕 下)東3
 源氏山(東大関)―大 空(幕 下)東1
 中入後
 越ケ濱(東前5)― 鑛 (西前8)東7(西8)
 荒 汐(幕 下)―戸田川(西前4)西5
 荒 滝(幕 下)―桟 シ(西前2)西3
 東 関(東前1)―御所嶋(幕 下)東4
 小 柳(東関脇)―出来山(幕 下)東2
 鳥井崎(幕 下)―稲 妻(西小結)西1

 西の大関関脇が休場のため小結稲妻が初日の結びを取
る。
 
 明治二十八年夏場所二日目(新聞より)
 中入前
 鉞 リ(東前13)―雷 山(十 両)東13
 不知火(東前12)―唐 辛(十 両)東12
 高ノ森(東前9)―海 山(西前2)西5(東10)
 響 舛(東前3)―大 纏(西前4)東4(西6)
 玉 龍(東前6)―大 砲(西小結)西3(東7)
 千年川(東小結)―梅ケ崎(西前11)東2(西10)
 響 矢(東前11)―大戸平(西張大)西1(東11)
 中入後
 越ケ嶽(東前5)―大 達(西前5)東6(西7)
 北 海(東前4)―大蛇潟(西前9)東5(西9)
 天津風(東前7)―鳳 凰(西前1)西4(東8)
 若 湊(東前2)―小松山(西前6)東3(西8)
 出羽海(東前8)―谷ノ音(西関脇)西2(東9)
 西ノ海(東横綱)―小天龍(西前13)東1(西11)
 
 前3響舛より前2海山が、前2若湊より前1鳳凰がそ
れぞれ先に取っているが序列通り。

 以上のような取組順は明治二十八年までは行われてい
たことが確認できるが明治三十年代には番付順による取
組順に変更されたようである。(番付順による取組順と
したときに矛盾のある取組順がなければ判断できないた
めいつまでと確定できない。)
 すなわち明治前期までの取組順を見て現在の取組順と
比較して矛盾しているように見えても、東西それぞれで
の序列順という基準で検討すれば矛盾していないのであ
る。

Ⅱ.張出力士、番付外出場力士の地位考証について

 Ⅰを承けて取組順を元に張出力士、番付外出場力士の
番付地位を考証するに当たっては以下をふまえて判断す
る必要がある。
 具体的には
 1.同じ方屋(東方・西方)のみで判断する。(異な
  る方屋の力士の番付は考慮する必要がない)
 2.対象力士の出場前後の取組だけでなく、中入前後
  両方の取組を考慮する。

 ここでは明治二十八年までの三役格もしくはそれに準
ずると思われる力士についてその番付地位を取組順に基
づき考証する。
 なお上記のように取組順から判明するのは各方屋での
序列であり○○格と称するのも本来の○○の次の順位と
いう以上の意味を持たない。
 また当初から張出で番付に記載されている力士と番付
外で出場した力士とでは意味合いも異なる。
 休場力士と入れ替わる形で出場している場合には原則
その休場力士の地位と判断する。
 なお表記の取組は地位の判断に資するものを代表で上
げており表記していない日の取組も考証している。

 寛政八年冬場所 陣 幕(東番付外)
 初日中入前
 磐 石(東小結)―四ツ車(幕 下)東3
 茨 木(幕 下)―千田川(西小結)西2
 小野川(東大関)―荒 熊(幕 下)東1
 初日中入後
 玉 垣(東前1)―十万海(幕 下)東4
 陣 幕(東番外)―沖津風(幕 下)東2
 岩井川(幕 下)―雷 電(西大関)西1
 ※東関脇九紋龍は休場
 東方2位と判断できるので関脇格。

 寛政九年春場所 平 石(東番付外)
 初日中入前
 高根山(東前6)―滝ノ上(幕 下)東8
 水 引(幕 下)―江戸崎(西前6)西8
 平 石(東番外)―松 嶋(幕 下)東6
 佐野山(幕 下)―達ケ関(西前3)西6
 和田原(東前3)―龍ケ洞(西前7)東4
 茂り山(幕 下)―稲 妻(西前2)西5
 茨 木(幕 下)―千田川(西小結)西3
 磐 石(東関脇)―東 嶽(幕 下)東2
 簑 嶋(幕 下)―雷 電(西大関)西1
 初日中入後
 出羽海(東前7)―雪ノ浦(幕 下)東9
 鴻ケ峯(東前5)―大 嶽(幕 下)東7
 諭鶴羽(東前4)―四ツ車(幕 下)東5
 十万海(幕 下)―柏 戸(西前4)西7
 大 綱(幕 下)―鳴 滝(西前1)西4
 花頂山(東前2)―沖津風(幕 下)東3
 八十嶋(幕 下)―錦 木(西関脇)西2
 陣 幕(東大関)―熊ケ嶽(幕 下)東1
 ※東小結玉垣、東前1勢見山は休場
 東方6位と見られる。前頭1格とする資料が見られる
 が東前4諭鶴羽の次位と考えられる。

 文化四年冬場所 大見崎(西張出前頭)
 初日中入前
 大 角(幕 下)―大見崎(西張前)西4
 荒 馬(東前1)―緑 川(幕 下)東3
 鹿間津(幕 下)―玉 垣(西関脇)西2
 柏 戸(東関脇)―濱ケ関(幕 下)東1
 初日中入後
 八ケ峯(幕 下)―春日山(西前1)西5
 緋 縅(東前2)―水 海(幕 下)東4
 田子浦(幕 下)―関ノ戸(西小結)西3
 鬼面山(東小結)―平 岩(幕 下)東2
 佐野山(幕 下)―雷 電(西大関)西1
 西方4位と判断できる。前頭と表示されているが小結
 格。

 文政二年冬場所 千田川(西番付外)
 三日目中入前
 源氏山(東小結)―龍 門(西前3)東3
 諭鶴羽(東前5)―千田川(西番外)西2
 柏 戸(東大関)―戸田川(西前7)東1
 三日目中入後
 越ノ海(東前4)―緋 縅(西小結)西3
 立 神(東関脇)―錦 木(西前2)東2
 大鳴門(東前6)―有馬山(西関脇)西1
 ※西大関玉垣は休場
 七日目中入前
 天 秤(東前7)―錦 木(西前2)西5
 源氏山(東小結)―有馬山(西関脇)西2
 柏 戸(東大関)―四賀峯(西前5)東1
 七日目中入後
 虹ケ嶽(東前3)―千田川(西番外)西4
 荒 馬(東前1)―緋 縅(西小結)西3
 立 神(東関脇)―玉 垣(西大関)西1
 三日目は西方2位(関脇格)と判断できるが七日目以
 降小結緋縅と序列が入れ替わったように見えるので三
 役格と判断する。

 文政四年春場所 山ノ井(西番付外、張出前頭)
 五日目中入前
 越ノ海(東前2)―四賀峯(西前2)東5(西5)
 天 秤(東前5)―山ノ井(西番外)西34
 源氏山(東関脇)―戸田川(西前5)東2
 雲早山(東前1)―玉 垣(西大関)西1(東4)
 五日目中入後
 諭鶴羽(東前3)―千年川(幕 下)東6
 荒 馬(東小結)―緋 縅(西前1)東3(西34)
 大鳴門(東前4)―有馬山(西関脇)西2
 柏 戸(東大関)―宮城野(西前3)東1
 ※西小結千田川は休場
 初日は幕尻格で出場したが二日目からは上位と取って
 おり地位不詳。五日目を見ると西方3位か4位で取っ
 たよう。八日目は幕尻格に戻る。

 文政十一年冬場所 秋津風(西番付外)
 初日中入前
 東 関(東前2)―武蔵川(西前4)東5
 荒 馬(東小結)―由良海(西前7)東3
 鳥井崎(幕 下)―緋 縅(西関脇)西1(2)
 阿武松(東大関)―出来山(幕 下)東1
 初日中入後
 越ケ濱(東前1)―真 力(幕 下)東4
 常盤戸(幕 下)―秋津風(西番外)西2(3)
 岩戸山(東関脇)―越ノ海(西前5)東2
 ※西大関稲妻、西小結鳴滝は休場だが稲妻は結びに取
 組を組まれていた可能性あり。三日目鳴滝は秋津風の
 直前に取っており秋津風は緋縅と鳴滝の間、関脇格と
 見る。

 天保六年春場所 緋 縅(西張出)
 二日目中入前
 布ケ滝(東前1)―響 野(幕 下)東4
 武 隈(幕 下)―和田浦(西前1)西5
 由良海(東前7)―追手風(西関脇)西3
(小 柳(東関脇)―○ ○     東2) 
(○ ○     ―稲 妻(西大関)西1)
 二日目中入後
 荒藺崎(幕 下)―関ノ戸(西小結)西4
 黒 岩(東小結)―秋津風(西前2)東3
 荒 礒(東前4)―緋 縅(西張出)西2
 阿武松(東大関)―渦ケ渕(西前4)東1
 三日目中入前
 由良海(東前7)―秋津風(西前2)
 黒 岩(東小結)―緋 縅(西張出)西2
 阿武松(東大関)―小松山(西前7)東1
 三日目中入後
(○ ○     ―追手風(西関脇)西3)
(小 柳(東関脇)―○ ○     東2)
 荒 礒(東前4)―稲 妻(西大関)西1
 四日目中入前
 鷲ケ濱(東前2)―追手風(西関脇)西3
 小 柳(東関脇)― 錦 (西前6)東2
(○ ○     ―稲 妻(西大関)西1)
 四日目中入後
 黒 岩(東小結)―和田浦(西前1)東3
(○ ○     ―緋 縅(西張出)西2)
 阿武松(東大関)―秋津風(西前2)東1
 五日目中入前
 黒 岩(東小結)― 錦 (西前6)東3
(○ ○     ―緋 縅(西張出)西2)
 阿武松(東大関)―和田浦(西前1)東1
 五日目中入後
 布ケ滝(東前1)―追手風(西関脇)西3
 小 柳(東関脇)― 頂 (西前3)東2
 鷲ケ濱(東前2)―稲 妻(西大関)西1
 ※カッコで囲った取組は筆者の推測
 追手風が稲妻の二番前に取っているのに対し緋縅は常
 に阿武松の直前に取っており西方2位と判断できる。
 緋縅が当初から番付に記載されていれば関脇緋縅小結
 追手風となると見られ翌場所はその様になっている。
 関脇格だが追手風より上位。

 天保七年冬場所 稲 妻(西番付外)
 五日目中入前
 和田原(幕 下)―平 石(西関脇)西3
 渦ケ渕(東前3)―追手風(西大関)西2
 小 柳(東大関)―天津風(幕 下)東1
 五日目中入後
 武蔵川(東前4)―藤 川(幕 下)東4
 鰐 石(東小結)―関谷野(西前4)東2
 春日山(幕 下)―稲 妻(西番外)西1
 西方1位。大関格(追手風より上位)

 天保八年春場所 黒 岩(東番付外)
 五日目中入前
 桐 山(東前5)―和田浦(幕 下)東5
 和田原(幕 下)―小松山(西前6)西4
 鷲ケ濱(東関脇)― 頂 (西前2)東1
 五日目中入後
 武蔵川(東前4)―天津風(西前7)東4
 黒 岩(東番外)―平 石(西小結)東西2
 鰐 石(東小結)―稲 妻(西大関)西1
 五日目のみの出場。関脇格か。
 
 天保十年春場所 稲 妻(西番付外)
 三日目中入前
 鏡 岩(東前2)―四明嶽(幕 下)東3
 武 隈(幕 下)―濃錦里(西大関)西2
 平 石(東大関)―四声山(幕 下)東1
 三日目中入後
 稲 川(東前1)―鱝野上(西前2)東2
 御所浦(東前6)―追手風(西関脇)西3
 春日山(幕 下)―稲 妻(西番外)西1
 西方1位。大関格(濃錦里より上位)

 天保十二年冬場所 不知火(西張出)
 全休
 
 安政六年春場所 響 灘(東番付外)
 二日目中入前
 桂 川(幕 下)―伊吹嶋(西小結)西3
 響 灘(東番外)―鹿嶋灘(幕 下)東2
 照ケ嶽(幕 下)―境 川(西大関)西1
 二日目中入後
 鬼面山(東小結)―鶴ケ濱(幕 下)東3
 飛 龍(幕 下)―不知火(西関脇)西2
 雲 龍(東大関)―立 神(幕 下)東1
 ※東関脇熊ケ谷は休場
 東方2位関脇格。
 
 文久元年冬場所 鷲ケ濱(西張出)
 初日中入前
 陣 幕(東前2)―茂り山(幕 下)東5
 榊 山(幕 下)―鷲ケ濱(西張出)西4
 鬼面山(東小結)―鹿嶋潟(幕 下)東3
 玉ノ戸(幕 下)―不知火(西関脇)西2
 雲 龍(東大関)―壇ノ浦(幕 下)東1
 初日中入後
 縄 張(幕 下)―駒ケ嶽(西前1)西5
 大鳴門(東前1)―桑ノ弓(幕 下)東4
 登竜山(幕 下)―小野川(西小結)西3
 響 灘(東関脇)― 頂 (幕 下)東2
 足代山(幕 下)―境 川(西大関)西1
 西方4位。

 慶応三年春場所 鬼面山(東張出)
 初日中入前
 釈迦峯(幕 下)―梶ケ濱(西前1)西4
 平 石(東小結)―荒 飛(幕 下)東3
 伊勢濱(幕 下)―常盤山(西関脇)西2
 不知火(東大関)―岩ケ峯(幕 下)東1
 初日中入後
 鬼面山(東張出)―濱 風(幕 下)東4
 戸上山(幕 下)―千年川(西小結)西3
 小野川(東関脇)―相 生(幕 下)東2
 鬼ケ崎(幕 下)―陣 幕(西大関)西1
 東方4位小結格。

 慶応三年冬場所 鬼面山(東張出)
 初日中入前
 箕 嶋(幕 下)―山 分(西前1)西4
 平 石(東小結)―足代山(幕 下)東3
 嶋田川(幕 下)―常盤山(西関脇)西2
 不知火(東大関)―相 生(幕 下)東1
 初日中入後
 鬼面山(東張出)―鯱ノ海(幕 下)東4
 濱 風(幕 下)―千年川(西小結)西3
 小野川(東関脇)―立 川(幕 下)東2
 榊 山(幕 下)―陣 幕(西大関)西1
 東方4位小結格。

 明治元年冬場所 千年川(西張出)
 三日目中入前
 佐ノ山(幕 下)―東 関(西小結)西4
 大 纏(東前1)―鶴ケ滝(西前2)東3
 国見山(東前6)―常盤山(西関脇)西2
 不知火(東大関)―磐 石(西前5)東1
 三日目中入後
 宮城野(東前2)―両 国(西前1)東4
 尾 上(幕 下)―千年川(西張出)西3
 増位山(東小結)―鬼ケ崎(西前7)東2
 相 生(東前5)―鬼面山(西大関)西1
 ※東関脇平石は休場
 西方3位関脇格。

 明治五年春場所 綾瀬川(東張出)
 三日目中入前
 両 国(東関脇)―鷲ケ濱(西前5)東3
 鬼 若(東前7)―小 柳(西小結)西2
 境 川(東大関)―鬼面山(西前6)東1
 三日目中入後
 勝 山(東前5)―高 砂(西前1)西3
 綾瀬川(東張出)―浦 風(西前7)東2
 山 分(東前6)―大 纒(西関脇)西1
 ※西大関象ケ鼻は休場
 東方2位。当初より番付に張出で記載されながら関脇
 両国より上位であり緋縅の場合と異なり大関格と判断
 できる。

 明治七年冬場所 小 柳(西張出)
 初日中入前
 勝 山(東張出)―小 柳(西張出)西4
 大 纏(東小結)―荒 角(幕 下)東3
 神 崎(幕 下)―朝日嶽(西関脇)西2
 境 川(東大関)―稲 川(幕 下)東1
 初日中入後
 佐野山(東前1)―藤ノ川(幕 下)東4
 出釈迦山(幕下)―鯱ノ海(西小結)西3
 雷 電(東関脇)―大見崎(幕 下)東2
 小野崎(幕 下)―綾瀬川(西大関)西1
 西方4位小結格。

 明治十一年春夏場所 阿武松(西張出)
 全休

 明治十二年春場所 阿武松(東張出)
 初日中入前
 四海波(東前6)―大 纏(西前1)西4
 浦 風(東小結)―大 淀(幕 下)東3
 藤田川(東前7)―武蔵潟(西関脇)西2
 境 川(東大関)―鬼面山(西前8)東1
 初日中入後
 阿武松(東張出)―達ケ関(西前7)東4
 稲瀬川(東前8)―鯱ノ海(西小結)西3
 若 嶋(東関脇)―高千穂(幕 下)東2
 荒 角(幕 下)―梅ケ谷(西大関)西1
 東方4位小結格。

 明治十四年春場所 境 川(東張出)
 全休

 明治十六年春場所 礒 風(西番付外)
 四日目中入前
 緋 縅(東前3)―礒 風(西番外)西5
 関ノ戸(東前1)― 勢 (幕 下)東4
 千羽嶽(東前2)―浦 風(西前3)西3
 鞆ノ平(東関脇)―常陸山(西前6)東2
 上ケ汐(東前4)―手柄山(西小結)西1
 四日目中入後
 高千穂(東前6)―清見潟(西前4)西4
 大鳴門(東小結)―勝ノ浦(西前8)東3
 柏 戸(東前5)―高見山(西前2)西2
 梅ケ谷(東大関)―西ノ海(西前5)東1
 ※西大関楯山、西関脇武蔵潟、西前1大達休場。
 西方5位前頭4格。

 明治十六年夏場所 剣 山(東客席)
 明治十六年夏場所 礒 風(西客席)
 五日目中入前
 濱ノ音(幕 下)―武蔵潟(西前1)西4
 剣 山(東客席)―大 達(西前4)東3
 上ケ汐(東前4)―手柄山(西関脇)西2
 鞆ノ平(東小結)―高見山(西前3)東1
 五日目中入後
 立田野(東前8)―礒 風(西客席)西5
 柏 戸(東前7)―西ノ海(西小結)西3
 千羽嶽(東前2)―浦 風(西前2)東2
 高千穂(東前3)―楯 山(西大関)西1
 ※東大関梅ケ谷、東関脇大鳴門休場。
 剣山は東方3位前頭2格。礒風は西方5位前頭1格。

 明治十八年春場所 大 達(西張出)
 初日中入前
 剣 山(東小結)―鶴ケ濱(幕 下)東3
 嵐 山(幕 下)―大 達(西張出)西2
 梅ケ谷(東大関)―清見潟(西前7)東1
 初日中入後
 手柄山(東前6)―高見山(西関脇)西3
 大鳴門(東関脇)―出釈迦山(西前8)東2
 中ツ山(幕 下)―西ノ海(西大関)西1
 西方2位大関格。

 明治二十年春場所 高千穂(西張出)
 二日目中入前
 千羽嶽(東前2)―柏 戸(西前8)東4
 出釈迦山(東張前)―高千穂(西張出)西5
 八幡山(東前5)―一ノ矢(西小結)西3
 鞆ノ平(東小結)―嵐 山(西前6)東2
 綾瀬川(東前6)―大 達(西大関)西1
 二日目中入後
 廣ノ海(東前9)―友 綱(西前1)西4
 鶴ケ濱(東前1)―上ケ汐(西前4)東3
 緋 縅(東前8)―西ノ海(西関脇)西2
 大鳴門(東関脇)―綾 浪(西前6)東1
 三日目中入前
 出釈迦山(東張前)―友 綱(西前1)西4
 海 山(東前3)―柏 戸(西前8)東5
 鶴ケ濱(東前1)―綾 浪(西前6)東3
 綾瀬川(東前6)―西ノ海(西関脇)西2
 大鳴門(東関脇)―嵐 山(西前6)東1
 三日目中入後
 緋 縅(東前8)―高千穂(西張出)西5
 千羽嶽(東前2)―常陸山(西前2)東4
 知恵矢(東前4)―一ノ矢(西小結)西3
 鞆ノ平(東小結)―上ケ汐(西前4)東2
 八幡山(東前5)―大 達(西大関)西1
 西方5位前頭1格か。

 明治二十四年春場所 剣 山(西張出)
 初日中入前
 一ノ矢(東小結)―楯 甲(西前7)東4
 達ノ矢(東前10)―八幡山(西関脇)西2
 小 錦(東大関)―鬼鹿毛(西前9)東2
 西ノ海(東横綱)―真 力(西前8)東1
 初日中入後
 響 舛(東前1)―高ノ戸(十 両)東5
 大 泉(東前8)―若 湊(西小結)西3
 綾 浪(東関脇)―泉 滝(西前10)東3
 出羽海(東前5)―剣 山(西張出)西1
 ※西大関大鳴門は休場。
 西方1位大関格。

 明治二十四年夏場所 剣 山(西張出)
 初日中入前
 大 泉(東前8)―若 湊(西関脇)西3
 大 纏(東前9)―剣 山(西張出)西2
 西ノ海(東横綱)―知恵矢(西前10)東1
 初日中入後
 出羽海(東前7)―鬼ケ谷(西小結)西4
 響 舛(東前1)―鬼鹿毛(西前9)東2
 大蛇潟(十 両)―八幡山(西大関)西1
 西方2位大関格。

 明治二十五年春場所 剣 山(西張出)
 二日目中入前
 千年川(東前7)―鬼ケ谷(西小結)西3
 綾 浪(東関脇)―大 纏(西前9)東2
 外ノ海(東前9)―八幡山(西大関)西1
 二日目中入後
 一ノ矢(東小結)―知恵矢(西前11)東3
 出羽海(東前8)―剣 山(西張出)西2
 西ノ海(東横綱)―響 矢(西前7)東1
 ※西関脇若湊は休場
 西方2位大関格。

 明治二十五年夏場所 剣 山(西張出)
 全休

 明治二十七年春場所 八幡山(西張出)
 全休

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