江戸から明治前期の取組順および張出、番付外出場力士 の地位考証について
Ⅰ.取組順について
江戸時代から明治時代まで張出力士には地位の表示が ない場合が多く、その番付地位の考証に当たっては取組 順(一日の興行で行われる取組の順番)が手がかりとさ れる。 これは対戦者のうち上位の力士の番付の低い取組から 順番に行われることが前提となるが、実際に取組順を検 証すると番付の順とは矛盾する取組順が存在することが わかる。 筆者が相撲起顕を元に江戸時代の享和以降の取組順を 検証したところ、明治中頃まで取組は番付順ではなく東 西それぞれでの序列の順番で行われていたと判断するに 至った。 具体的には東方西方それぞれで上から順に休場者を除 いて序列をつけその序列の順番で東方西方交互に並べる 形で行われていた。視覚的に示すなら以下の様になる。
中入前 中入後 東1は東方の1位 東4―○○ ○○―西4 ○○は下位力士 ○○―西3 東3―○○ 一日ごとに中入の前後は入 東2―○○ ○○―西2 れ替わる ○○―西1 東1―○○ ただし基本形であり同順位や近い順位で入れ替わるケ ースが少なくない。人数に不均衡がある場合東4より 西3の取組が先のようなケースがあるが東方西方それ ぞれでは低い順位の取組から順に行われる。
休場者を除いてと述べたようにこの序列は休場者が出 ると繰り上がり、休場者が出場すると繰り下がる。即ち 本場所中でも変動する。また勝負付には取組発表後に休 場するとその取組自体記載されないため序列の判定に際 し注意が必要となる。
文化九年春場所初日(相撲起顕より) 中入前 荒 海(幕 下)―大鳴門(西前6)西7 雷 (東前7)―出水川(幕 下)東6 羽 颪(幕 下)―越ノ海(西前5)西6 千草山(東前5)―水 海(幕 下)東4 濱 風(幕 下)―真 鶴(西前1)西3 立 神(東前3)―遠 近(幕 下)東2 大 角(幕 下)― 鉞 (西関脇)西1 中入後 筑波潟(幕 下)―戸田川(西前8)西8 頂 (東前6)―龍 門(幕 下)東5 泉 崎(幕 下)―春日山(西前4)西5 八十嶋(幕 下)―桟 シ(西前3)西4 揚 羽(東前4)―鼓ケ滝(幕 下)東3 鳴 潮(幕 下)―桑ノ弓(西小結)西2 鏡 岩(東前2)―八登崎(幕 下)東1
休場者多く番付順で見ると矛盾する順が多いが序列で 見れば矛盾しない。東方出場者のうち最上位の平幕鏡岩 が初日の結びを取る。
文政八年冬場所初日(相撲起顕より) 中入前 温海嶽(東前6)―越ノ海(西前7)西7(東8) 照 羽(幕 下)―黒 柳(西前6)西6 三ケ関(東前4)―琴ノ浦(幕 下)東6 外ケ濱(東前8)―緋 縅(西前3)西4(東9) 大 山(東前2)―四角山(幕 下)東5 由良海(幕 下)―高 砂(西前1)西2 荒 馬(東小結)―松 嶋(幕 下)東3 源氏山(東大関)―大 空(幕 下)東1 中入後 越ケ濱(東前5)― 鑛 (西前8)東7(西8) 荒 汐(幕 下)―戸田川(西前4)西5 荒 滝(幕 下)―桟 シ(西前2)西3 東 関(東前1)―御所嶋(幕 下)東4 小 柳(東関脇)―出来山(幕 下)東2 鳥井崎(幕 下)―稲 妻(西小結)西1
西の大関関脇が休場のため小結稲妻が初日の結びを取 る。 明治二十八年夏場所二日目(新聞より) 中入前 鉞 リ(東前13)―雷 山(十 両)東13 不知火(東前12)―唐 辛(十 両)東12 高ノ森(東前9)―海 山(西前2)西5(東10) 響 舛(東前3)―大 纏(西前4)東4(西6) 玉 龍(東前6)―大 砲(西小結)西3(東7) 千年川(東小結)―梅ケ崎(西前11)東2(西10) 響 矢(東前11)―大戸平(西張大)西1(東11) 中入後 越ケ嶽(東前5)―大 達(西前5)東6(西7) 北 海(東前4)―大蛇潟(西前9)東5(西9) 天津風(東前7)―鳳 凰(西前1)西4(東8) 若 湊(東前2)―小松山(西前6)東3(西8) 出羽海(東前8)―谷ノ音(西関脇)西2(東9) 西ノ海(東横綱)―小天龍(西前13)東1(西11) 前3響舛より前2海山が、前2若湊より前1鳳凰がそ れぞれ先に取っているが序列通り。
以上のような取組順は明治二十八年までは行われてい たことが確認できるが明治三十年代には番付順による取 組順に変更されたようである。(番付順による取組順と したときに矛盾のある取組順がなければ判断できないた めいつまでと確定できない。) すなわち明治前期までの取組順を見て現在の取組順と 比較して矛盾しているように見えても、東西それぞれで の序列順という基準で検討すれば矛盾していないのであ る。
Ⅱ.張出力士、番付外出場力士の地位考証について
Ⅰを承けて取組順を元に張出力士、番付外出場力士の 番付地位を考証するに当たっては以下をふまえて判断す る必要がある。 具体的には 1.同じ方屋(東方・西方)のみで判断する。(異な る方屋の力士の番付は考慮する必要がない) 2.対象力士の出場前後の取組だけでなく、中入前後 両方の取組を考慮する。 ここでは明治二十八年までの三役格もしくはそれに準 ずると思われる力士についてその番付地位を取組順に基 づき考証する。 なお上記のように取組順から判明するのは各方屋での 序列であり○○格と称するのも本来の○○の次の順位と いう以上の意味を持たない。 また当初から張出で番付に記載されている力士と番付 外で出場した力士とでは意味合いも異なる。 休場力士と入れ替わる形で出場している場合には原則 その休場力士の地位と判断する。 なお表記の取組は地位の判断に資するものを代表で上 げており表記していない日の取組も考証している。
寛政八年冬場所 陣 幕(東番付外) 初日中入前 磐 石(東小結)―四ツ車(幕 下)東3 茨 木(幕 下)―千田川(西小結)西2 小野川(東大関)―荒 熊(幕 下)東1 初日中入後 玉 垣(東前1)―十万海(幕 下)東4 陣 幕(東番外)―沖津風(幕 下)東2 岩井川(幕 下)―雷 電(西大関)西1 ※東関脇九紋龍は休場 東方2位と判断できるので関脇格。
寛政九年春場所 平 石(東番付外) 初日中入前 高根山(東前6)―滝ノ上(幕 下)東8 水 引(幕 下)―江戸崎(西前6)西8 平 石(東番外)―松 嶋(幕 下)東6 佐野山(幕 下)―達ケ関(西前3)西6 和田原(東前3)―龍ケ洞(西前7)東4
茂り山(幕 下)―稲 妻(西前2)西5 茨 木(幕 下)―千田川(西小結)西3 磐 石(東関脇)―東 嶽(幕 下)東2 簑 嶋(幕 下)―雷 電(西大関)西1 初日中入後 出羽海(東前7)―雪ノ浦(幕 下)東9 鴻ケ峯(東前5)―大 嶽(幕 下)東7 諭鶴羽(東前4)―四ツ車(幕 下)東5 十万海(幕 下)―柏 戸(西前4)西7 大 綱(幕 下)―鳴 滝(西前1)西4 花頂山(東前2)―沖津風(幕 下)東3 八十嶋(幕 下)―錦 木(西関脇)西2 陣 幕(東大関)―熊ケ嶽(幕 下)東1 ※東小結玉垣、東前1勢見山は休場 東方6位と見られる。前頭1格とする資料が見られる が東前4諭鶴羽の次位と考えられる。
文化四年冬場所 大見崎(西張出前頭) 初日中入前 大 角(幕 下)―大見崎(西張前)西4 荒 馬(東前1)―緑 川(幕 下)東3 鹿間津(幕 下)―玉 垣(西関脇)西2 柏 戸(東関脇)―濱ケ関(幕 下)東1 初日中入後 八ケ峯(幕 下)―春日山(西前1)西5 緋 縅(東前2)―水 海(幕 下)東4 田子浦(幕 下)―関ノ戸(西小結)西3 鬼面山(東小結)―平 岩(幕 下)東2 佐野山(幕 下)―雷 電(西大関)西1 西方4位と判断できる。前頭と表示されているが小結 格。
文政二年冬場所 千田川(西番付外) 三日目中入前 源氏山(東小結)―龍 門(西前3)東3 諭鶴羽(東前5)―千田川(西番外)西2 柏 戸(東大関)―戸田川(西前7)東1 三日目中入後 越ノ海(東前4)―緋 縅(西小結)西3 立 神(東関脇)―錦 木(西前2)東2 大鳴門(東前6)―有馬山(西関脇)西1 ※西大関玉垣は休場 七日目中入前 天 秤(東前7)―錦 木(西前2)西5 源氏山(東小結)―有馬山(西関脇)西2
柏 戸(東大関)―四賀峯(西前5)東1 七日目中入後 虹ケ嶽(東前3)―千田川(西番外)西4 荒 馬(東前1)―緋 縅(西小結)西3 立 神(東関脇)―玉 垣(西大関)西1 三日目は西方2位(関脇格)と判断できるが七日目以 降小結緋縅と序列が入れ替わったように見えるので三 役格と判断する。
文政四年春場所 山ノ井(西番付外、張出前頭) 五日目中入前 越ノ海(東前2)―四賀峯(西前2)東5(西5) 天 秤(東前5)―山ノ井(西番外)西34 源氏山(東関脇)―戸田川(西前5)東2 雲早山(東前1)―玉 垣(西大関)西1(東4) 五日目中入後 諭鶴羽(東前3)―千年川(幕 下)東6 荒 馬(東小結)―緋 縅(西前1)東3(西34) 大鳴門(東前4)―有馬山(西関脇)西2 柏 戸(東大関)―宮城野(西前3)東1 ※西小結千田川は休場 初日は幕尻格で出場したが二日目からは上位と取って おり地位不詳。五日目を見ると西方3位か4位で取っ たよう。八日目は幕尻格に戻る。
文政十一年冬場所 秋津風(西番付外) 初日中入前 東 関(東前2)―武蔵川(西前4)東5 荒 馬(東小結)―由良海(西前7)東3 鳥井崎(幕 下)―緋 縅(西関脇)西1(2) 阿武松(東大関)―出来山(幕 下)東1 初日中入後 越ケ濱(東前1)―真 力(幕 下)東4 常盤戸(幕 下)―秋津風(西番外)西2(3) 岩戸山(東関脇)―越ノ海(西前5)東2 ※西大関稲妻、西小結鳴滝は休場だが稲妻は結びに取 組を組まれていた可能性あり。三日目鳴滝は秋津風の 直前に取っており秋津風は緋縅と鳴滝の間、関脇格と 見る。
天保六年春場所 緋 縅(西張出) 二日目中入前 布ケ滝(東前1)―響 野(幕 下)東4 武 隈(幕 下)―和田浦(西前1)西5 由良海(東前7)―追手風(西関脇)西3 (小 柳(東関脇)―○ ○ 東2) (○ ○ ―稲 妻(西大関)西1) 二日目中入後 荒藺崎(幕 下)―関ノ戸(西小結)西4 黒 岩(東小結)―秋津風(西前2)東3 荒 礒(東前4)―緋 縅(西張出)西2 阿武松(東大関)―渦ケ渕(西前4)東1 三日目中入前 由良海(東前7)―秋津風(西前2) 黒 岩(東小結)―緋 縅(西張出)西2 阿武松(東大関)―小松山(西前7)東1 三日目中入後 (○ ○ ―追手風(西関脇)西3) (小 柳(東関脇)―○ ○ 東2) 荒 礒(東前4)―稲 妻(西大関)西1 四日目中入前 鷲ケ濱(東前2)―追手風(西関脇)西3 小 柳(東関脇)― 錦 (西前6)東2 (○ ○ ―稲 妻(西大関)西1) 四日目中入後 黒 岩(東小結)―和田浦(西前1)東3 (○ ○ ―緋 縅(西張出)西2) 阿武松(東大関)―秋津風(西前2)東1 五日目中入前 黒 岩(東小結)― 錦 (西前6)東3 (○ ○ ―緋 縅(西張出)西2) 阿武松(東大関)―和田浦(西前1)東1 五日目中入後 布ケ滝(東前1)―追手風(西関脇)西3 小 柳(東関脇)― 頂 (西前3)東2 鷲ケ濱(東前2)―稲 妻(西大関)西1 ※カッコで囲った取組は筆者の推測 追手風が稲妻の二番前に取っているのに対し緋縅は常 に阿武松の直前に取っており西方2位と判断できる。 緋縅が当初から番付に記載されていれば関脇緋縅小結 追手風となると見られ翌場所はその様になっている。 関脇格だが追手風より上位。
天保七年冬場所 稲 妻(西番付外) 五日目中入前 和田原(幕 下)―平 石(西関脇)西3 渦ケ渕(東前3)―追手風(西大関)西2 小 柳(東大関)―天津風(幕 下)東1 五日目中入後 武蔵川(東前4)―藤 川(幕 下)東4 鰐 石(東小結)―関谷野(西前4)東2 春日山(幕 下)―稲 妻(西番外)西1 西方1位。大関格(追手風より上位)
天保八年春場所 黒 岩(東番付外) 五日目中入前 桐 山(東前5)―和田浦(幕 下)東5 和田原(幕 下)―小松山(西前6)西4 鷲ケ濱(東関脇)― 頂 (西前2)東1 五日目中入後 武蔵川(東前4)―天津風(西前7)東4 黒 岩(東番外)―平 石(西小結)東西2 鰐 石(東小結)―稲 妻(西大関)西1 五日目のみの出場。関脇格か。 天保十年春場所 稲 妻(西番付外) 三日目中入前 鏡 岩(東前2)―四明嶽(幕 下)東3 武 隈(幕 下)―濃錦里(西大関)西2 平 石(東大関)―四声山(幕 下)東1 三日目中入後 稲 川(東前1)―鱝野上(西前2)東2 御所浦(東前6)―追手風(西関脇)西3 春日山(幕 下)―稲 妻(西番外)西1 西方1位。大関格(濃錦里より上位)
天保十二年冬場所 不知火(西張出) 全休 安政六年春場所 響 灘(東番付外) 二日目中入前 桂 川(幕 下)―伊吹嶋(西小結)西3 響 灘(東番外)―鹿嶋灘(幕 下)東2 照ケ嶽(幕 下)―境 川(西大関)西1 二日目中入後 鬼面山(東小結)―鶴ケ濱(幕 下)東3 飛 龍(幕 下)―不知火(西関脇)西2 雲 龍(東大関)―立 神(幕 下)東1 ※東関脇熊ケ谷は休場 東方2位関脇格。 文久元年冬場所 鷲ケ濱(西張出) 初日中入前 陣 幕(東前2)―茂り山(幕 下)東5 榊 山(幕 下)―鷲ケ濱(西張出)西4 鬼面山(東小結)―鹿嶋潟(幕 下)東3 玉ノ戸(幕 下)―不知火(西関脇)西2 雲 龍(東大関)―壇ノ浦(幕 下)東1 初日中入後 縄 張(幕 下)―駒ケ嶽(西前1)西5 大鳴門(東前1)―桑ノ弓(幕 下)東4 登竜山(幕 下)―小野川(西小結)西3 響 灘(東関脇)― 頂 (幕 下)東2 足代山(幕 下)―境 川(西大関)西1 西方4位。
慶応三年春場所 鬼面山(東張出) 初日中入前 釈迦峯(幕 下)―梶ケ濱(西前1)西4 平 石(東小結)―荒 飛(幕 下)東3 伊勢濱(幕 下)―常盤山(西関脇)西2 不知火(東大関)―岩ケ峯(幕 下)東1 初日中入後 鬼面山(東張出)―濱 風(幕 下)東4 戸上山(幕 下)―千年川(西小結)西3 小野川(東関脇)―相 生(幕 下)東2 鬼ケ崎(幕 下)―陣 幕(西大関)西1 東方4位小結格。
慶応三年冬場所 鬼面山(東張出) 初日中入前 箕 嶋(幕 下)―山 分(西前1)西4 平 石(東小結)―足代山(幕 下)東3 嶋田川(幕 下)―常盤山(西関脇)西2 不知火(東大関)―相 生(幕 下)東1 初日中入後 鬼面山(東張出)―鯱ノ海(幕 下)東4 濱 風(幕 下)―千年川(西小結)西3 小野川(東関脇)―立 川(幕 下)東2 榊 山(幕 下)―陣 幕(西大関)西1 東方4位小結格。
明治元年冬場所 千年川(西張出) 三日目中入前 佐ノ山(幕 下)―東 関(西小結)西4 大 纏(東前1)―鶴ケ滝(西前2)東3 国見山(東前6)―常盤山(西関脇)西2 不知火(東大関)―磐 石(西前5)東1 三日目中入後 宮城野(東前2)―両 国(西前1)東4 尾 上(幕 下)―千年川(西張出)西3 増位山(東小結)―鬼ケ崎(西前7)東2 相 生(東前5)―鬼面山(西大関)西1 ※東関脇平石は休場 西方3位関脇格。
明治五年春場所 綾瀬川(東張出) 三日目中入前 両 国(東関脇)―鷲ケ濱(西前5)東3 鬼 若(東前7)―小 柳(西小結)西2 境 川(東大関)―鬼面山(西前6)東1 三日目中入後 勝 山(東前5)―高 砂(西前1)西3 綾瀬川(東張出)―浦 風(西前7)東2 山 分(東前6)―大 纒(西関脇)西1 ※西大関象ケ鼻は休場 東方2位。当初より番付に張出で記載されながら関脇 両国より上位であり緋縅の場合と異なり大関格と判断 できる。
明治七年冬場所 小 柳(西張出) 初日中入前 勝 山(東張出)―小 柳(西張出)西4 大 纏(東小結)―荒 角(幕 下)東3 神 崎(幕 下)―朝日嶽(西関脇)西2 境 川(東大関)―稲 川(幕 下)東1 初日中入後 佐野山(東前1)―藤ノ川(幕 下)東4 出釈迦山(幕下)―鯱ノ海(西小結)西3 雷 電(東関脇)―大見崎(幕 下)東2 小野崎(幕 下)―綾瀬川(西大関)西1 西方4位小結格。
明治十一年春夏場所 阿武松(西張出) 全休
明治十二年春場所 阿武松(東張出) 初日中入前 四海波(東前6)―大 纏(西前1)西4 浦 風(東小結)―大 淀(幕 下)東3 藤田川(東前7)―武蔵潟(西関脇)西2 境 川(東大関)―鬼面山(西前8)東1 初日中入後 阿武松(東張出)―達ケ関(西前7)東4 稲瀬川(東前8)―鯱ノ海(西小結)西3 若 嶋(東関脇)―高千穂(幕 下)東2 荒 角(幕 下)―梅ケ谷(西大関)西1 東方4位小結格。
明治十四年春場所 境 川(東張出) 全休
明治十六年春場所 礒 風(西番付外) 四日目中入前 緋 縅(東前3)―礒 風(西番外)西5 関ノ戸(東前1)― 勢 (幕 下)東4 千羽嶽(東前2)―浦 風(西前3)西3 鞆ノ平(東関脇)―常陸山(西前6)東2 上ケ汐(東前4)―手柄山(西小結)西1 四日目中入後 高千穂(東前6)―清見潟(西前4)西4 大鳴門(東小結)―勝ノ浦(西前8)東3 柏 戸(東前5)―高見山(西前2)西2 梅ケ谷(東大関)―西ノ海(西前5)東1 ※西大関楯山、西関脇武蔵潟、西前1大達休場。 西方5位前頭4格。
明治十六年夏場所 剣 山(東客席) 明治十六年夏場所 礒 風(西客席) 五日目中入前 濱ノ音(幕 下)―武蔵潟(西前1)西4 剣 山(東客席)―大 達(西前4)東3 上ケ汐(東前4)―手柄山(西関脇)西2 鞆ノ平(東小結)―高見山(西前3)東1 五日目中入後 立田野(東前8)―礒 風(西客席)西5 柏 戸(東前7)―西ノ海(西小結)西3 千羽嶽(東前2)―浦 風(西前2)東2 高千穂(東前3)―楯 山(西大関)西1 ※東大関梅ケ谷、東関脇大鳴門休場。 剣山は東方3位前頭2格。礒風は西方5位前頭1格。
明治十八年春場所 大 達(西張出) 初日中入前 剣 山(東小結)―鶴ケ濱(幕 下)東3 嵐 山(幕 下)―大 達(西張出)西2 梅ケ谷(東大関)―清見潟(西前7)東1 初日中入後 手柄山(東前6)―高見山(西関脇)西3 大鳴門(東関脇)―出釈迦山(西前8)東2 中ツ山(幕 下)―西ノ海(西大関)西1 西方2位大関格。
明治二十年春場所 高千穂(西張出) 二日目中入前 千羽嶽(東前2)―柏 戸(西前8)東4 出釈迦山(東張前)―高千穂(西張出)西5 八幡山(東前5)―一ノ矢(西小結)西3 鞆ノ平(東小結)―嵐 山(西前6)東2 綾瀬川(東前6)―大 達(西大関)西1 二日目中入後 廣ノ海(東前9)―友 綱(西前1)西4 鶴ケ濱(東前1)―上ケ汐(西前4)東3 緋 縅(東前8)―西ノ海(西関脇)西2 大鳴門(東関脇)―綾 浪(西前6)東1 三日目中入前 出釈迦山(東張前)―友 綱(西前1)西4 海 山(東前3)―柏 戸(西前8)東5 鶴ケ濱(東前1)―綾 浪(西前6)東3 綾瀬川(東前6)―西ノ海(西関脇)西2 大鳴門(東関脇)―嵐 山(西前6)東1 三日目中入後 緋 縅(東前8)―高千穂(西張出)西5 千羽嶽(東前2)―常陸山(西前2)東4 知恵矢(東前4)―一ノ矢(西小結)西3 鞆ノ平(東小結)―上ケ汐(西前4)東2 八幡山(東前5)―大 達(西大関)西1 西方5位前頭1格か。
明治二十四年春場所 剣 山(西張出) 初日中入前 一ノ矢(東小結)―楯 甲(西前7)東4 達ノ矢(東前10)―八幡山(西関脇)西2 小 錦(東大関)―鬼鹿毛(西前9)東2 西ノ海(東横綱)―真 力(西前8)東1 初日中入後 響 舛(東前1)―高ノ戸(十 両)東5 大 泉(東前8)―若 湊(西小結)西3 綾 浪(東関脇)―泉 滝(西前10)東3 出羽海(東前5)―剣 山(西張出)西1 ※西大関大鳴門は休場。 西方1位大関格。
明治二十四年夏場所 剣 山(西張出) 初日中入前 大 泉(東前8)―若 湊(西関脇)西3 大 纏(東前9)―剣 山(西張出)西2 西ノ海(東横綱)―知恵矢(西前10)東1 初日中入後 出羽海(東前7)―鬼ケ谷(西小結)西4 響 舛(東前1)―鬼鹿毛(西前9)東2 大蛇潟(十 両)―八幡山(西大関)西1 西方2位大関格。
明治二十五年春場所 剣 山(西張出) 二日目中入前 千年川(東前7)―鬼ケ谷(西小結)西3 綾 浪(東関脇)―大 纏(西前9)東2 外ノ海(東前9)―八幡山(西大関)西1 二日目中入後 一ノ矢(東小結)―知恵矢(西前11)東3 出羽海(東前8)―剣 山(西張出)西2 西ノ海(東横綱)―響 矢(西前7)東1 ※西関脇若湊は休場 西方2位大関格。
明治二十五年夏場所 剣 山(西張出) 全休
明治二十七年春場所 八幡山(西張出) 全休
|